結局さ、アラフィフになっても、信念というか、自分の根っこを支えるような考え方をもててないから、不安なのかな?
四十にして惑わずっていうけど、惑いっぱなしが本当のところだよね
人生を乗り越える処方箋というか、大げさに言うと、生きる指針みたいなものがほしいんだよね
もちろん、怪しい新興宗教とか、高額のオンラインサロンとかじゃなくてね
年齢に応じた不安ってありますよね
若いときは、年をとればメンタルも強くなって、いろんな悩みにも楽々対処できるんだと思ってました。
しかし、実際はどうでしょうか。
確かに、いろんな経験を積んだことで多少の対応力は身についたかもしれません。しかし、若いころには想像できなかったような複雑な悩みが増えることにより、むしろ悩みは深くなっている気がします。
若いころなら、気晴らしに飲むとか、友達と笑うとか、買い物するとか、そういうことで解決できる悩みもあったかと思います。しかし、年を重ねると、その悩みの原因が、職場や家族からもたらされる場合も多く、それらは自分だけではどうにもできない場合が多いのです。
どうにもできないのに、その問題はずっとそこにあり続けるので、当然苦しいですよね。
軽減すればいいのですが、プレッシャーがかかり続けた結果、やがてメンタルの不調を招くこともあります。
さらにコロナ禍で、誰でも大なり小なりストレスが増え、将来への不安が増している方も多いのではないでしょうか。
占いもいいけれど
最近、テレビで占いの番組が放送されていますが(私も見てます)、占いやスピリチュアルが流行っているそうです。やはり現状の不安な気持ちを反映しているのだと思います。何か不安が軽くなるもの、頼りになるものを求めているのかもしれないですね。
占いなどは、癒し効果もありますし、鑑定されれば楽しいですし、何かヒントがあるかもしれないので、たまには良いと思います。ハマってしまって、大金を失うことさえなければ、ストレス解消に役立つと考えています。
ただ、占いは、その場の一過性の効果が大きいと思います。
就職うまくいきますか?と聞いて、大丈夫と言われれば、うれしいですよね。その時、いろいろアドバイスされて、自分でもできるような気持になります。その場で前向きにさせてくれる効果は大です。
でも、数日たつと、その高揚感も薄れ、なんとアドバイスされたかすら曖昧になります。そして、また壁にぶつかると不安になり、占いに行ってしまう。そんな経験ありませんか?
私はあります(笑)
結局、他人の意見に頼るので、自分の軸がありません。だから、トラブルが起こるたびに自分では判断できずに、不安だけを増幅させてしまうんですよね。私は、いい年なのに、いまだに自分の軸がぐらぐらです。
すでに生きる指針を悟っている人がいました
自分の考え方を支える軸というか、指針というか、そういうものが手に入れば、今みたいにぐらぐらしなくても済むのではないか?と思っていたところ、すでにそれを何千年も前に悟っている人がいると知りました。
それは、お釈迦様です。
あーーーーーーー、逃げないで。ちょっと待って。
怪しい勧誘でも、変な宗教でもないから。
お釈迦様とか、仏教とか、うさんくさいとか、つまらないとか、思っちゃうのはごもっとも。
だって、私もそうでしたから。
でも、仏教って、生きる智慧にあふれているというか、毎日を生きやすくする考え方を教えてくれる、とても実践的な宗教なんです。
特に年を重ねた方のこころの持ちかたには、とても有効だと思うんです。
でもさー、仏教って、法事とかお葬式とか、お坊さんが来てお経を唱えるアレだよね?
お坊さんなんて、さっさと帰るくせに、けっこうなお金包まないといけないしさ。まったく有り難くないんだけど?
檀家だとなにかと大変で、お墓の管理とかめんどくさいだけなんだよね。
お気持ちわかります。私も同感です。
こういう気持ちにさせているお坊さん方、お客さんが逃げますよ(笑)
では、そういった儀式とかお金とかの話はおいておいて、仏教が基本的にどういったことを言っているかご存じですか?
私は仏教の考え方を知ることにより、かなりメンタルバランスを保ちやすくなりました。なので、ぜひ、少しだけでも見ていってください。ちなみに完全無料です(笑)
悟りのスペシャリストに学ぼう
さて、すでに悟りの天才であるお釈迦様が、いろいろ大変な経験を経て、大事なポイントをゲットしているようなので、私たちはそれをサクッと教えてもらいましょう。
人生は苦である
お釈迦様は、「人生は苦である」と説きました。「一切皆苦」(いっさいかいく)が前提条件です。
ここでいう苦は、苦しみの意味ですが、「思い通りにならない」という意味合いが強いです。
いきなりのネガティブスタートで、すみません。
あーーーーーーー、ちょっと待ってください。まだ帰らないで。もう少し聞いてください。
仏教では、人は生前の行いにより、六道のうちのいずれかに生れ落ちるとされています。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上です。
人間に苦があるのは理解できますが、たとえ天上に生まれても、この苦からは逃れられないのです。そもそも天人の住む極楽は、「極く楽に修行が出来る場所」という意味であり、決して無敵状態ではないのです。
では、天人すら逃れられない苦とは何か?
その代表は「生老病死」の四苦です。思い通りにならないもの選手権優勝のみなさんですね。
注目すべきは、四苦に「生」が入っていることです。つまり、この世に生まれること、それ自体が「苦」なのです。
生まれたことも苦?!ネガティブが加速していますね。
お釈迦様は、病み気質だったんでしょうか(笑)
苦って、どうにかなりませんか?
そうなると、この苦って、どうにかなりませんか?って思いますよね。
仏教は、簡単に言うと、「苦と向き合いながら、いかに生きていくか」を説く宗教です。お釈迦様がひらめいた、苦の対処法がたくさん記されています。
私たちのメンタルヘルスに効果的な処方箋が満載というわけです。
ここで「縁起」と「空」という考え方を知る必要があります。
まず「縁起」ですが、すべての存在は、必ず他に依存して生じたり、存在したりしている。直接、間接の原因によって生じ、存在しているということです。お釈迦様は、この法則を悟ったようなのです。
縁起の対象は、大自然の現象から心の悩み、はては見た目の美醜にいたるまでのすべてです。そして、この法則は、あらゆるものの生じ方、存在の仕方に一貫して存在しています。
ということは、「苦」もこの縁起による存在ということになりますね。
裏を返すと、この縁起(原因・条件・依存関係)を消滅させれば「苦」も消滅することになります。
すべては「空」
さて、すべてが縁起によって存在していることがわかりました。
そうなると、直接・間接の原因や条件が変化したり、依存関係の状態が変わったり、なくなったりすれば、その縁起によって起こった存在そのものも変化したり、消滅したりすることになりますね。
ということは、固定した実体は存在していないということになります。これが「空」という考え方になります。
「諸行無常」という言葉を聞いたことがあると思います。今までの言葉を使って説明すれば、縁起によって存在しているものは、すべてが「空」であり、常に変化してやむことがなく、一瞬たりとも同一のままでありえないということになります。
人間存在そのものも、生まれた時から成長し、老化し、昨日の自分とは違うのです。
実体がないものには、こだわらない
お釈迦様が悟ったことを、ごくごく簡単にお伝えしました。
では、それをふまえて、どのように生きればいいのか?「苦」をどうにかする方法はあるのか?
仏教では、「中道」で生きるようにと説いています。中道とは、「執着しない、偏らない、とらわれない」という意味です。すべては「空」なのだから、それに執着しても仕方がないですもんね?
「中道」を実践するには、自分が何に執着しているのか?その原因をはっきりと認識し明らかにしなければなりません。これはかなり苦しいことですね。
原因がはっきりしたとして、そこから離れる、手放すことは、また苦しいことです。これに向かう勇気をもとうよ!というのが、仏教の実践のようです。「苦」を消滅させるために、別の「苦」を引き受けつつ進まなければならないということになりますね。さすがは、一切皆苦です。
とはいえ、我慢すればいいのかというとそうではないそうです。我慢は、そのこだわりを固定してしまう行為だからです。理屈はわかりましたが、実践するとなるとハードルは高そうです。
ただ、誰かと比べてどうだとか、誰かに承認されたとか、そういうことにフォーカスせずに、自分の内面に注目して利他のこころでおだやかに生きましょうという精神は、これからの人生の指針になるのではないかと思っています。
まとめ
- 六道のどこに生まれても、人生は「苦」である。
- 「生老病死」はたとえ天人に生まれても、思い通りにならない。
- すべては、「縁起」で成り立ったおり、「苦」も縁起の理法で説明できる。
- 「苦」なのは、もともと「空」であるものにこだわるから。
- 原因をはっきりと見つめて、中道で生きる。利他の心でおだやかに生きる。
仏像をきっかけに仏教に興味が出て、お寺に通ったり、講座に参加して勉強中です。
色々書いてますが、私も初心者です(笑)
気楽に読めて面白い、仏教関連の本を最後にご紹介します。