修学旅行で行ったきりだった興福寺を再認識しました
秋だね
特別公開シーズンだね
僧形の仏像で見たいものが奈良にあるんですが・・・
ソウギョウ?それ何??
まあ行楽シーズンだから出かけても構わんよ(上から)
今回の狙いは、北円堂+阿修羅像
私の住んでいる地方では、小学生の修学旅行は、京都・奈良に行きます。私もウン十年前に行きました。
小学生のころ、興福寺の五重塔とか猿沢の池とか、間違いなく見学しているはずなのです。国宝が目白押しの興福寺をスルーするわけがありません。しかし、まったく記憶にないわけです。
覚えているのは、東大寺の大仏と鹿。こっちのほうがキャラが濃いせいか、小学生の記憶には、「じゃないほう」のお寺は残らなかったわけです。
しかし、あれから幾年月。私の中の仏像ブームにおいて、にわかに興福寺がクローズアップされました。仏像好きの世界では、何をいまさら・・・というぐらい、興福寺はメジャー中のメジャー。有名な阿修羅像をはじめ、見るべき貴重な仏像が目白押しのお寺なのです。
そんなお寺に、行くにあたって、私が今回特に見たいと思っているのは、北円堂にある、「無著と世親」という僧侶の立像なのです。本やテレビで紹介されているのを見て、その姿のリアリティに驚いたからです。
北円堂が特別公開されるのは、春と秋のみ。それで、今回、特別公開を狙って出かけることにしたのです。
興福寺
中金堂 厨子入り吉祥天倚像
さて、小学生ぶりに訪れた興福寺。第一印象は、「こんなにでっかい敷地だったっけ」ということです。記憶では、池と塔だけのちっちゃい寺というイメージだったので、驚きました。
猿沢の池から階段を上がると、目の前に中金堂が見えます。朱色の柱と壁の青色が鮮やかで、まさに「あおによし」状態。こちらは、創建当時の様式で復元すべく、平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されたばかり。だから、新しいんだけど、平安時代の人々が見ていた状態に近いってことになりますね。
興福寺は、和銅3年(710年・奈良時代初期)、中臣(藤原)鎌足の息子で当時の権力者だった藤原不比等が、平城京遷都とともに藤原京の厩坂寺を現在の位置に移したのがはじまりとされています。
いやいや、そりゃ歴史古いわ。群を抜いて由緒あるわ。
中金堂の中には、本尊の釈迦如来像。色を塗りなおしたのか、キラキラしています。薬王、薬上菩薩像が脇侍として安置されています。脇侍で3メートルありますが、堂内が広いから、大きく思えないほどです。
須弥壇の四方には、四天王像が配置されています。こちらも2メートルほどの像で、岩座にたった力強い姿。鎌倉時代の作で国宝です。
厨子入り吉祥天倚像という、厨子の高さで1メートルほどの像があります。こちらは、通常は元旦から7日間しか拝観できないのですが、今回の特別公開中は開扉されていました。
吉祥天は、美と幸運、富と繁栄、財産と智恵を授ける神。たしかに、白肌が美しく、頬がふっくらして健康的な印象。美と繁栄の神と言われて納得。
像自体も、厨子の扉も、彩色がとても良く残っていて、当時の美しい仕上がり具合を感じ取ることができました。
五重塔 国宝が「密」の東金堂
中金堂に向かって右側には、五重塔があります。藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。現在の塔は応永33年(1426)頃の再建。日本で2番目に高い塔だそうです。
こちらは時間を経た古さを感じる色合いですが、青い空にすっきりと建っていて、屋根の反り具合も素敵。まわりに鹿もたくさんいて、いかにも奈良って風情です。
五重塔の横には、東金堂があります。
神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されました。現在の建物は室町時代の応永22年(1415)に再建されたものです。こちらは、中金堂とうってかわって、狭めの堂内に多数の仏像がひしめきあっています。前の仏像の陰になって、見えにくい仏像もいるぐらいの混み具合です。
ご本尊は、病気平癒の願いを込めて、薬師如来。脇侍は、日光・月光菩薩です。
四方には、国宝の四天王。頭上から足下の邪鬼、台座まで一木の桧材で彫出されているそうです。胴回りから下半身にかけては太く、力強く、重量感にあふれています。
邪鬼のチェックも、仏像を見るときの楽しみのひとつなのですが、こちらの邪鬼たちも、「どうしてその姿勢で踏まれることになったの?!」と思わずにいられないような、様々な姿で踏まれています。こちらの四天王は重量感あるので、邪鬼たちも重くて大変でしょう。
十二神将立像も国宝です。薬師如来の守護神で、左右に各6体、計12体が安置されています。12体すべてが残っている貴重な例で、鎌倉時代の天部彫刻の代表作だそうです。
十二神将って、それぞれのポーズや表情が個性的だし、着ているものや頭に乗っている動物とか、いろいろ見たいところなのですが、なんせ堂内が暗いうえに、ぎっしり「密」状態で置かれているので、なかなか細部まで見ることができず。そこは残念でした。
北円堂 無著・世親立像の究極のリアリティ
さて、今回のメインイベントのひとつ、北円堂へ来ました。こちらも国宝の建物です。
興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721)8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせたものです。現在の建物は、再建されているのですが、当時の姿を残しているそうです。
八角形の外観は、とても美しく、平安時代のセンスにまた驚いてしまいます。
特別公開期間中は、この北円堂の中に入ることができます。入る前からワクワクです。
ご本尊は、弥勒如来坐像。国宝です。運慶晩年の名作として知られているそうです。肉づきのいい感じの体格で、顔も横広な安心感を与えます。
八角須弥壇の四方には四天王像があります。こちらも国宝。もはや国宝と何度言ったことか。建物も像も国宝で、国宝in国宝ですね。
こちらの四天王も、下半身がっちり系で、重厚感のある造り。ポーズもそれぞれ決めています。こちらの四天王の表情は、怖い顔ではなく、素に近い感じです。目がくりくりしていてかわいいぐらいです。こちらの邪鬼も顔の形がゆがむほど踏まれています。
さてさて、これらの仏像もさることながら、北円堂で一番光っているのは、無著・世親立像です。こちらも国宝です。
釈迦入滅後約千年を経た5世紀ころ、北インドで活躍し、法相教学を確立した無著と世親の兄弟の彫刻です。簡単に言えば、お年を召した偉いお坊さんの肖像彫刻ですね。仏像のようにキラキラもしておらず、なぜこれがメインイベントなのかと思いますよね?
それは一言でいえば、その像が持つリアリティでしょうか。その存在が、大げさに言えば、生きているように思えるのです。北円堂が開け放たれているため、明るい中で見ればそれは確かに彫刻です。ですが、もしももう少し薄暗く、何も知らずに見たならば、「あれ、誰かそこに立っているな?」と思わせるほどのリアリティがあるのです。
像の肉づきのせいなのか、立ち姿の自然さのせいなのかわかりませんが、「存在」を感じさせる像なのです。
近くで見てみても、顔の肌の質感が感じられます。皺のよりかたや、こめかみの血管、瞳の玉眼、なんだか、本物の人間を固めてしまったのではないか?と思わせるほどの表現力なのです。
運慶が手掛けた、日本肖像彫刻の最高傑作と言われているそうですが、まさにその名の通りだと思います。彫刻にこれほどまでに惹きつけられたのは初めてで、自分でも驚きました。像をいろんな角度から何度も見たいと思ったため、さして広くない北円堂の中を何周もしてしまいました(笑)
運慶って、いったいどれだけの天才なんでしょうか。何百年も後の、美術や仏教に知識のない人間にまで、その表現力で感動を伝えることができるのですから。
国宝館 阿修羅像が待っている
もう、ここまででメインディッシュも食べたし、お腹も満腹だし、レストランならそろそろお会計をして帰るところなのですが、ここからさらに本格的なデザートコースがはじまるというではないですか。
最後に国宝館へ向かいました。
いやいや、国宝館って、すでに国宝いくつ見たんやろうか?まだあるの?と突っ込みたくなるぐらいです。
入ってすぐのあたりにある、天燈鬼・龍燈鬼立像。四天王像に踏みつけられる邪鬼を独立させ、仏前を照す役目を与えたものです。邪鬼がこんなにフューチャーされてるなんて。苦労した甲斐があったね(笑)
表情もポーズもちょっとかわいい。「阿と吽、赤と青、動と静とが対比的に表現された鬼彫刻の傑作」とありますが、確かに2体でセットだけど、違う表現をしています。私は、龍燈鬼像の上目遣いが好きだな。
館内の中央には、千手観音菩薩立像がそびえています。5メートルもあるから大きい。千手観音も、異形のうちには入るので、好きな仏様です。国宝館は、もともと食堂があった場所に建てられていて、旧食堂の本尊がこの千手観音菩薩立像だったそうです。思わず拝まずにはいられないほどの迫力があります。
そしてこちらでの一番人気と言えば、奈良時代の八部衆立像。その中の阿修羅像ですよね。こちらの阿修羅像は、戦闘神としての形相ではなく、なんだか少年のような、アンニュイな表情で表現されております。やたら細い腕が、守ってあげたくなる感じがして母性本能をくすぐります。人気なのもわかります(笑)
私は、胸から下が失われた、五部浄像も好きです。象の冠をかぶり、正面を見ているのですが、その瞳や表情がなんともいえず儚い感じがしました。
見どころが多すぎて、興福寺につい長居をしてしまった
お土産の絵葉書、すぐに選ばないと
あれ、もう夕方じゃない
この後の東大寺は早送りで見なくちゃね
さすが、阿修羅ファンクラブ会長のみうらじゅんさん。見仏記で、興福寺は何度も紹介されています。